神事としての焼杉と建築する行為

神事として杉を焼く

神様に祈りを捧げながら

ただ黙々と表面を焼かせていただく

同じことを繰り返すこと

同じことをただただ淡々と淡々と

それは一見機械的作業であり
機械化がなされた現代では
無意味で非効率なこととみなされる

果たしてそうだろうか?

効率を追った先にその人達は何を見ているのだろう?

きっと答えられない

なぜならその先には何もないから

非効率なことをヒトの手で行うことは
神との対話

仏への帰依

この身は我が身に非ず

神仏の化身として
彼らの代わりとして

彼らの代わりに作業させていただく

かれらと一体になるために
ただただ反復作業を繰り返す

そこにヒトの意思はなくなり
神仏からの動きによって動かされる

神々しさはそうやって生まれてくる

プライスレス

何よりもヒトの念いが込められる
その時代に生きたヒトの祈り

この世の平和と安寧を
宇宙と一体の世界の理を

この世界に物質化するのが建築
神々しい世界はそうやって生まれ出てくる

何も荘厳でモニュメンタルな
巨大建築である必要などない

小さくともそこに携わった
人間の意思を感じる建築

数々の職人が腕をふるい
完成という目的に向かって一体になる

住処をつくる

その美しき世界を体現するために
お金には変えられない価値

プライスレスなものでこの世界は
そもそも出来上がっていることを
令和の私たちは忘れてはならないと念う